(日本版) ファッション業界を席巻する CEO達 ーvol 1ー


前回、(海外版) 世界のファッション業界を席巻する CEO達で、「世界のCEOベスト100」(The Best-Performing CEOsin the world)の中から、ファッション業界の凄腕CEOを5名紹介した。

今回は、日本だけにとどまらず世界に大きな影響を与える日本人CEOを紹介しよう。

 

日本最大のアパレルカンパニー / 株式会社 ファーストリテイリング


2016年度の「世界のCEOベスト100(参照:(海外版) 世界のファッション業界を席巻する CEO達)」で46位に選ばれた人物。世界でもトップシェアを誇るカジュアル衣料の製造販売『ユニクロ』を中心とした、大手の企業グループ『株式会社ファーストリテイリング』代表取締役会長兼社長の『柳井正』である。

出典:http://gqjapan.jp/life/business/20160125/managers-who-dont-manage-their-companies


1949年山口県宇部市中央町で誕生。父親『柳井等』は、彼が生まれた年に紳士服小売りの『メンズショップ小郡商事』を立ち上げ、1963年に現企業の前身となる『小郡商事株式会社』を設立。その頃に土建屋の経営にも手を広げている。

父親の影響で商売は欠かせない、そんな日常生活で育った子供時代だった。

柳井正氏は、早稲田大学政治経済学部を卒業後、父親の勧めでジャスコ(現在のイオンリテール)に入社し、三重県で家庭雑貨売場を担当するが、9ヶ月で退社。

帰省してからは、実家の小郡商事を手伝うことになり、1984年、父の後を受け小郡商事社長に就任。

小郡商事は当時、紳士服などの男性向け衣料が中心であったが、12年経営に携わるなかで、洋服の青山やアオキなどの郊外型紳士服店が業績を拡大したため、シフトを変更し、日常的で安価なカジュアル衣料販売に着目し全国展開を目指すようになる。

カジュアルにこだわったのは、紳士服のように接客を必要としない、物が良ければ売れるという点が、柳井正氏の性にあったためという。そうすることによって、男性客だけではなく、女性、子供と視野を広げていった。

「ユニークな衣料」という彼の想いによって、、『ユニーク・クロージング・ウエアハウス(Unique Clothing Warehouse、略称ユニ・クロ)』が誕生。第一号店を広島市でオープン。その後、中国地方を中心に店舗を拡大していく。

『ユニクロ』が徐々に日本で定着していくようになった1991年、社名を小郡商事から『ファーストリテイリング』に変更する。2002年、柳井氏がCEOに就任した。

 広島のユニクロ第一号店 出典:https://limia.jp


柳井氏は、ヨーロッパやアメリカ旅行で目にした『Benetton』や『GAP』なカジュアルアパレルチェーンの影響で、日本や海外でのカジュアルウェア市場に大きな可能性を感じることとなった。

衣服のデザインから、生産まで低価格でハイクオリティな商品を提供した『ユニクロ』は、その功績を評価され不況の中、2009年一橋大学大学院が運営する「ポーター賞」を受賞した。

戦略論のマイケル ポーター・米ハーバード大学経営大学院教授は『ユニクロ』について、こう語る。
 

「サービス産業は、世界経済の70%を占めると見込まれている、圧倒的に大きな存在だ。一方、日本では歴史的に多くの理由で遅れている。しかしそれは今、ユニクロによって変わり始めた。アパレルという“平凡な”分野で、国際的な市場に移すという技術革新を起こしたのです。ユニクロは技術アパレルです」 (日経ビジネスより)


出典:https://www.crede.co.jp/brand/feature/118_uniqlo.html


その後の2011年には、柳井正氏は全社員に毎年恒例の新年のメッセージとして「Change or Die(変革か死か)」を送り、2020年には世界一のアパレル企業になると宣言している。

2016年度の「世界のCEOベスト100』で46位に選ばれた柳井氏であるが、まだまだ満足はしていないであろう。なぜなら、世界には去年から引き続き第3位をキープしている『インディテックス社』や、高級ブランドを傘下に収める『LVMH モエ・ヘネシー・ルイ・ヴイトン』という競合企業がいるのだ。

大きな目標を掲げた2020年まであと約3年、柳井正氏率いる『ファーストリテイリング』はまだまだ成長していくだろう。

 

逆風の中『ISSEY MIYAKE』をさらに海外に展開した人物。


出典:https://factelier.com/story/vol09/


『ISSEY MIYAKE』は、ご存知のとおり世界で名の通った、日本のデザイナーズブランドのパイオニアだ。

1970年に設立した『株式会社 三宅デザイン事務所』から、翌年2月には、ニューヨークで『ISSEY MIYAKE』初のコレクションを発表し、その後、『KENZO』のデザイナー高田賢三氏に引き続き、1971年にパリでコレクションを発表している。創業者の『三宅一生』に憧れファッションデザイナーの道に進んだ人も多くいるだろう。



その歴史ある『ISSEY MIYAKE』で、2000年から10年CEOを務めたのが『太田伸之』だ。

1953年三重県桑名市生まれ。学生時代に、ファッションマーケティンググループを主催するなど、才覚を示している。明治大学経営学部卒業後、ニューヨークに渡り、繊研新聞特約通信員、米国の高級百貨店であるバーニーズ・ニューヨークコーディネーターなどを務め、日米ファッション業界の橋渡しを担った。

8年間の在住後の1985年東京ファッションデザイナー協議会設立のために帰国し、東京コレクションを開始する。

太田氏は、IFIビジネススクール設立メンバーとして、若手デザイナー支援が認められ、日本ファッションエディターズクラブ賞を受賞。

1995年には株式会社松屋営業本部顧問、同社シンクタンク部門株式会社東京生活研究所専務取締役所長に就任するなど、ファッション業界に限らず、成果を発揮している。

 太田氏が『ISSEY MIYAKE』のCEO就任当初に、百貨店大手『そごう』が破綻。さらに、ビジネスのグローバル展開を推進し大型路面店をオープンする予定だったニューヨークでアメリカ同時多発テロが起こるなど、厳しい状況に立たされたが、太田氏は常に冷静な対応を執ってきた。

国内では、激変する小売り市場やファストファッションが栄え、その後はリーマン・ショックも起きている。販売員のスキルアップへ力を注ぎ、店頭に発注権を渡すなど、小売目線での改革を始めた。その成果は大きく、その後店舗のスクラップ&ビルドやアジア地域での販路も軌道に乗せていった。 

出典:http://www.isseymiyake.com/brand/issey_miyake.html


2010年、「これから若い世代を中心にチームワークを持って会社を運営して欲しい。」と太田氏からバトンを受け取ったのは、執行役員を務めていた『永谷正勝』現社長だ。

2012年春夏コレクションより新体制を整えるため、翌年の2011年に、35歳の若さで『ISSEY MIYAKE』のデザイナーに任命された『宮前義之』。

永谷氏は、「三宅一生という一人のデザイナーの精神やもの作りの姿勢を守り、哲学を継承してきたからこそイッセイミヤケがある。4代目デザイナーの宮前氏は三宅一生の側で働いてきたのでそれを理解していて、引き継ぎつつ変えてくれると思う。」と語っている。

今後は、駅ビル・ファッションビルへの挑戦や、WEBビジネスの拡大、そしてアジア戦略を強化していく方針である。

 

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