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【世界で活躍する日本人#2】フランスで活動する日仏のテイストを兼ねそえるジュエリー作家『中谷美穂』

2017/01/23 12:00



世界に飛び出し、厳しい環境の中で自身のクリエイションに情熱を注ぐ日本人クリエイターを紹介する企画『世界で活躍する日本人』

今回は、フランス、アルザス地方で活動するジュエリーデザイナーの中谷美穂さんに話しを伺った。



 

中谷美穂(なかたにみほ)

ジュエリー作家 / 彫金師 / 宝石彫刻師
日本の伝統的彫金表現を生かしつつ、ヨーロピアンファンジュエリーの品質の高さを実現したオリジナルジュエリー、和装飾品を現代的な感覚で製作。
 
京都出身。京都市立美術大学卒業。
小さな物が好きで彫金を始める。彫金工房(京都)勤務し、日本古来の金属工芸品を製作、竹影堂鎚舞氏に師事。京都の感性を意識する。その後、縁あって渡仏し、ジュエリーアトリエ(パリ)勤務。Dior(ディオール)などのジュエリーを製作、人間国宝フィリップニコラと働く。Cartier(カルティエ、パリ)で宝石彫刻師として働く。ジュエラーとして目覚める。コレクションツホミ堂を主催。日本の伝統的彫金技術を使いながら、現代的な感覚で創る和装身具のデザイン製作販売を行う。花の蕾にインスピレーションを受けてコレクションを開始し、その名をツホミ堂と命名する。マダムフィガロ フランスに掲載される。日仏のエスプリでつくるジュエリーは高く評価される。
フランスはアルザスにて、田舎暮らし、子育て、ジュエリーをきれいに束ねて作家活動中。



――日本にいらした時の経歴を教えて下さい。

京都の彫金工房に勤めたのち、独立してジュエリー、和装装飾品の制作販売していました。


――いつからフランスの場所で活動を開始したのですか。

2005年に来仏し、個人事業者になって3年目に入りました。

 
――いつからストラスブール、アルザスで活動を開始したのですか。

ストラスブールは2016年9月で、アルザスは3年前です。
 

――何故日本ではなく、その場所で活動する事を決めましたか。

人生の流れですね。フランス人の主人との縁で、フランスへ移り住みました。

気がつけばそれからもう、10年経っていますね。私にとっては、フランスは住みやすい所です。

 
――もし、ご主人と出逢っていなければ、フランスで活動していなかったかもしれないと言う事でしょうか。

はい。以前はフランスには特別な関心はなかったです。

海外自体、興味がなかったんです。だなので、当時は活動どころかフランスに旅行でさえ行く気はなかったですね。

なので主人との出会いは、フランスとの出会いでもあります。

 
――日本にいた時から、海外(フランス)で活躍されたいと思った事はありますか。

はい。私の作るジュエリーがパリで受け入れられるか、試したいと思っていました。

それから、まだジュエリーを作る前、主人と旅行で初めてパリを訪れた際に見つけた彫刻の画廊が素敵で、ここで展覧会ができたらどんなに素敵だろうと思った思い出があります。

そこでの展覧会は未だ実現してはいませんが、たまにパリに行くと顔を出します。私のジュエリーを扱ってほしいという意思は、様々な方法でアプローチしているんです。





――現在の活動内容について詳しく教えて下さい。

日仏のエスプリが混ざり合うジュエリーを作っていて、サロンにも出展しています。

一度に多くを作ることはできないので、まずは気に入っていただいたお客様とコンタクトを取り、受注生産という形で承る事が多いですね。

お客様とお話をしながら、生産をする行程はとても面白いです。

皆様好きな感じや、似合うものが違うので、会話の中でインスピレーションを受けながら次の新しいコレクションに生かしていきます。

私のジュエリーの特徴は、日本古来の合金を使っています。

日本の伝統技術と、フランスのジュエリーの留め金の美しさ、そして使い勝手の良さを取り入れているんです。

 
――その前にパリにいらしたとのことですが、最初のパリでの活動について詳しく教えて下さい。

パリでも日本でのキャリアを継続したかったので、ジュエリー工房を探しました。
 
そして来仏時はフランス語がほとんど話せなかったので、語学学校へ通っていましたね。

それと同時に見つけた工房に通っていたので、忙しかったです。

そのうちそこで仕事を頼まれるようになったので、工房に勤めることにしました。

その工房はオートクチュールのジュエリー版のようなファインジュエリーを製作するアトリエで、本物のヨーロピアンジュエリーを目の当たりにしました。

日本で思っていたジュエリーとは違い目から鱗が落ちる思いでした。ジュエリーを真剣に取り組みたいと思いましたね。

貴金属を最初は扱っていたのですが、徐々に宝石を彫刻する仕事に比重が映り、Cartier(カルティエ)で働きました。
 

――Cartierでお仕事を始められたきっかけはなんですか。またそのお仕事内容を教えてください。

当時の勤め先のボスがヘッドハンディングをされたんです。

Cartierではアトリエグリプティックで働きました。

デッサンからマケットを作り、マケットを元に宝石やワックスを彫刻する仕事です。

私の彫刻した宝石は仕入れ値が私の年収ほどで、ブランドにとっても滅多に手に入らない代物でアトリエは溢れていました。

そんな宝石を扱えるのは至福で、怖くないかと聞かれることもありましたが、不思議に怖くありませんでした。彫り始めると石がどうすれば良いのか、教えてくれました。





――どうしてパリからアルザスで活動することになったのでしょう。

主人が転職したのをきっかけに引越ししました。

彼がアルザス出身なのと、アルザスの立地条件が彼の仕事には好都合だったんです。

 
――アルザスでに拠点を移し、いかかでしたか。

引越しした当時は納得していましたが、とても辛かったです。

パリは好きでした。せっかくCartierに勤めて居心地も良かったですし、友達もいました。

ジュエリーに関係する店やラボや仲間もいて、フランスに来てから全て、主人以外はゼロから築き上げたのに無くなってしまって、また一から始めるのか?と思うと気が滅入りましたし、アルザスに一人取り残された気分でした。

しかし、それでも結局はこれで良かったと思っています。

Cartier勤めは誇らしかったけれど、本当にやりたいことは自分の作品を作ることなので、そのための気が熟したんですね。

来仏時から比べると自分では気がつかなくても、フランス語も上達し、職歴も出来、結婚出産もしましたし、フランス人作家になっていました。
 



――アルザスとパリの違いはなんですか。

アルザスは個人で活動している作家がたくさんいます。

作家活動を支援するアソシエーションも存在します。

アルザスで開催される工芸のサロンは、素晴らしい創造が行われる街だなと感じています。

私にとってパリは売るところですね。パリへの思い入れはありますが、アルザスで縁のある方々に尽くしたいなと思っています。
 

――やはり、日本の方からするとファッションといえば、パリというイメージがあると思うのですが、美穂さんから見たパリでの活動の良い点、悪い点、アルザスでの活動の良い点、悪い点はありますか?

パリは世界中の人が憧れる町なので、パリ在住というだけでなんか雰囲気でますよね。

それに、ブティックがひしめき合っていて、観光客がブランドものを買う街です。

その一方で、アーティストが惹きつけられるけれど、良くも悪くもパリの街は博物館だと思っています。

パリはお金が多少なりともあって、フラフラするには最高です。

街が絵になるし、自分もその一部になれます。まるで世界の真ん中にいるような感覚は自分を鼓舞しますし、他所では味わえません。

特にジュエリーはフランス伝統工芸なので、同業者関係者もたくさんいて刺激的です。外国人だらけですね。

逆に地方にいるとまるで孤島にいるような錯覚がすることもあります。

それでもパリに居たらまだ独立できていなかった可能性もあって、アルザスでの活動は必須だったでしょう。

アルザスの気に入っているところは街並みがきれいなところですね。

街の住人が景観に気を使っているのが庭先の植木や花でわかります。

自然や植物はインスピレーションを与えてくれるので創作活動にもアルザスは適しているかもしれません。

生活の質は向上して、食材もパリとは比べ物にならない良いものが手に入ります。

アルザスは土が豊かなので、いろいろワインとかお菓子とかも美味しくて料理をするようにもなりました。

その時々に応じて土地や人とご縁をいただくものだと思います。

孤島にいる感覚を好きだと心から言える境地が欲しいです。そうすることで本当にアルザスのいることが生きてくると感じています。


――日本とフランスの違いはなんですか。(ファッション面に限らず、多方面において)

私は時々日本の方と話す事が難しいと感じる時があります。本心が分からないので困ってしまうんです。

フランスの方は興味がないとそっぽを向いているのでわかりやすくて好きです。

恥ずかしくないのかな?と思うくらい自分の卑怯な所や了見の狭さなんかを隠さない事も好きですね。

ファッションは……わかりませんが、いろいろと多様ですよね。顔の造形もそのうちの一つです。

フランスにいて、想像を超えるユニークな顔の造作とか見つけると、自分の顔も結局バリエーションの一つだなと思えていいです。

相対的に良いとか悪いではなくて、個性的という意味で楽しめるんです。
 

――フランスにいて、日本人として経験した苦労はありましたか。

来仏時は滞在許可書等で困りました。フランス語も未だ困ってます。

フランスは移民が多いので自分が思っているほど難しいんです。日常生活で書類関係では煮湯を飲まされることが多いですよね。

ただ、フランスでは日本人というだけでとても評価されるのでむしろ助かってます。

 
――フランスにいて、日本人として良かった事はありましたか。

フランスでは自分の中の日本をより強く意識できて面白いです。

日本にいる時より日本が好きになりました。良いところというか、魅力がわかります。

フランス人が日本のことを私より知っていて恥を掻くことがありますが、日本が好かれている証拠ですよね。
 

――今後、日本に帰国して活動しようとは思いますか。

帰国はわかりませんが、展覧会はしたいです。その時々の流れで決めます。

 
――それは何故ですか。

日本とフランスにジュエリーを通じて架け橋を作るのが今のところの私の役割だと感じるので、日本のことをフランスでお話しして、フランスで体験したことを日本でお話して、また、ジュエリーを通じてお見せしたいです。
 

――今後フランスでどんな活動をしていく予定ですか。

私のジュエリーを好きな方、買ってくださる方、私の活動に興味を持ってくださる方は、多かれすくなかれ、皆さんが架け橋なんです。

日本とフランスになんらかの縁があって、日常の生活に根ざした所で交流されています。

「政府公認」とか「日仏交流」とか横断幕をあげてなくても個人で自然にされているんです。

なので、そういった方達が私のジュエリーをなんらかの形で日本とフランスの縁のシンボルとして扱ってくださってくれれば嬉しいし、そう在りたいと思います。
 

――最後に一言、フランスや海外で活躍したいと思う日本のクリエイターさんに一言お願いします。

海外での活動は、ご縁があるところに繋がると思います。
 

中谷さんはフランス人とのご主人との出会いから渡仏され、色んなご縁でパリのジュエリーアトリエ、Cartier(カルティエ)勤務、そしてアルザス地方に移動し、個人でのジュエリーデザイナーとして活動を始められている。

その道のりは語学や滞在許可証などの問題もあり、簡単なことではなかったようだが、様々な縁で現在はフランス、ストラスブールにアトリエを持ち、ご自身の経験を元に日仏のエスプリを備えたジュエリー制作、アトリエを展開している。

海外での活動は、活動そのものだけでなく、その国の文化や言語、そして外国人にはつきもののVISAや滞在許可証、労働許可証の問題などもあり、時間もかかることだということを覚悟しなければいけないだろう。しかし、最初のフランス旅行から早15年で、現在の活動に繋がっている中谷さん。日本での展覧会も楽しみである。