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20世紀モードの静かなる改革者。「LANVIN(ランバン)」の創業者、ジャンヌ・ランバン

2017/10/09 05:00

「とても偉大デザイナー」。

ファッション業界の重鎮「カール・ラガーフェルド」がそう讃えるのは、あの世界的に有名な老舗ブランド「LANVIN」の創業者、ジャンヌ・ランバンという女性だ。

「LANVIN」といえば、エレンガントでありながら、フェミニンさも兼ね備えているデザインが特徴的。香水「アルページュ」も有名である。

そして、最近では、2015年に10年以上アーティスティック・ディレクターを務めたアルベール・エルバスが退任を発表し、2016年、ブシュラ・ジャラールが就任。

2017春夏コレクションよりデビューする新生LANVINに注目が置かれている。

そんな「LANVIN」の歴史を追うとともに、創設者であるジャンヌ・ランバンの服づくりへの思いを、書籍『fashionista001』の「ジャンヌ・ランバン 20世紀モードの静かなる革命者」より紹介しよう。

 

帽子店から子供服部門の設立


1867年、新聞記者の両親から10弟妹の長女としてパリに生まれる。

13歳から帽子屋の見習いとして働き、1889年、22歳の時、パリのボワシー・ダングラ通りに帽子店を開業。

その後、愛娘の誕生をきっかけに、1908年、「子供服」という新たな領域のジャンルを設立した。

ヨーロッパでは伝統的に子供は「小さな大人」と見なされていたため、子供は大人の縮小版というような装いに身を包んでいた。

18世紀に入り子供らしい服が登場するも、「男児服」に該当し、少女たちは19世紀に入ってもなお、コルセットで締めたドレスに身を縮めていた。

しかし、1900年にはすでに制作が始められていたランバンの子供服は、最初から大人の模倣を放棄していた点が革命的であった。

ゆとりのあるデザインが脱ぎ着を簡単にし、体を締め付けることもなく、楽な着心地を実現させた。また、コサージュやリボン、レースに刺繍、明るい色使いなど、少女特有のかわいらしさを引き立てた。

ランバンは、子を思いやる母の気持ちの詰まった、少女のための服を生んだ。その試みは、モードの新たな道を開拓することとなった。

 

母娘服の誕生


1909年、パリ・クチュール組合に加盟し、ファッションデザイナーとして本格的に始動する。

そして、新たに少女服と婦人服の二部門を開設した。

その理由として、娘の服を注文する母親たちが、自分たちも娘と同じテイストの服を着ることを望んだからであるそうだ。

1910年前後の『レ・モード』誌に掲載された、さりげなく統一感のあるお揃いの服を着て、仲睦まじい母娘の姿、少女の装いにヒントを得てデザインされた女性服姿から「母娘服」というべきジャンルが新たに生まれたのだった。

ランバンは子供服を大人服へと拡張することで、年齢の枠組みに囚われずに、装うことの自由を女性たちにもたらしたのであった。

 

ロマンティックな「ローブ・ド・スティル」

  

出典:VOGUE BLOG http://www.vogue.co.jp


子供から大人まで、すべての年代の女性を対象に服作りを行うようになったランバンは、いつしか年齢や体型を問わず、誰もが着る喜びに身を委ねられる究極のシルエットを模索するようになる。

そこで1910年代半ばに、スカートが大きく広がったシルエットが特徴的な「ローブ・ド・スティル」(フランス語で「古風な様式のドレス」を意味する)が誕生する。

ロマンティックなこのドレスが、1920年代を通して高い人気を誇った。

その理由は、この時代、パリ・モードはシャネルが築いた、シンプルで機能的なデザインを好む「ギャルソンヌ・スタイル」一色に彩っていたからである。

1929年にランバンは、「現代の衣服には、いわゆるロマンティックな側面が必要です。あまりに基調になりすぎないよう、現実的になりすぎないよう、注意が必要です」と語った。

ランバンは流行のシルエットのドレスを数多く手掛けるも、ローブ・ド・スティルを作り続けた。

この制作が、著しく変貌を遂げたこの時代の女性服に対する、ある種のアンチテーゼであったことがうかがわれる。

シンプルで機能的な服も、行き過ぎれば無味乾燥に陥る。そうした時代だからこそ、ランバンは大きく膨らんだスカートに象徴されるロマンティシズムを表現したのであった。

そんな流行に囚われず、信念を貫き、自分を信じる服を作り続けたランバン自身が、まるでギャルソンヌであったといえるであろう。

 

知られざるモダン・スタイル


ランバンは、ローブ・ド・スティルを代表的な存在として良く知られているが、一方で、時に驚くほどの斬新なアイデアと共にモダンなデザインをも手掛けていた。

1927年に発表されたキュロット。19世紀末から、パンツをスカートで覆い隠すというアイデア自体は、乗馬用スカートとして存在していた。

西洋ではパンツは男性のシンボルとして認識されていたため、女性がパンツを着るということは、ほとんどなかった。1920年代にパンツは女性たちの日常着に加わったが、カジュアル・ウェアにすぎなかった。

しかし、ランバンのキュロットは、一見するとスカートに見えるデザインであったため、街中での着用が可能であった。

パンツを着始めた時代に、ランバンはキュロットという、もう一歩先を見据えたようなデザインを発表していたのであった。

また、ランバンは新発明をデザインに取り込む好奇心旺盛な一面も持ち合わせていた。それは、シャネルやスキャパレリよりも早くファスナーを用いた服を発表するなど、

また、スキャパレリがモード世界に持ち込んだとされている「トロンプ・ルイユ(騙し絵)」の手法を、ランバンは2年も早くこのアイデアを実現させていた。

ランバンは、シャネルやスキャパレリなどのように、ドラマティックに語られることはほとんどなかったが、彼女らに劣らない鋭い視点は静かに見据えていたのだろう。

 

ジャンヌ・ランバンという人物

出典:VOGUE BLOG http://www.vogue.co.jp


ブランドの知名度や人気とは裏腹に、創始者であるジャンヌ・ランバンのことはあまり知られていない。

去年、125周年を記念したパリ市モード美術館で行われただ大回顧展「JANNE LANVIN」によって、ジャンヌ・ランバンという人物を知る人が多くなったのかもしれない。

そんな彼女をカール・ラガーフェルドは「とても偉大デザイナー」と讃えている。

その一方で、1920年代にはすでに熟年の女性だったため、カリスマ性に欠けていたと評価する人もいたとか。

また社交的で、エキセントリックでもなく、オフィスにこもり、ひたすら仕事に専念する女性であった。

そのため、「寡黙、控えめ、ミステリアス」といった言葉が彼女につけられていた。

しかし、そのような言葉からは見えてこなかった、服に対する思い。

子を想う服、自由を想う服、信念を貫く服、鋭く時代を見据えた服を生み出したことは、その時代の本来の女性像、新たな女性像をも生み出していたことといえるだろう。

ランバンは、他の同時代のデザイナーたちと比べて、脚光を浴びることは少なかったかもしれないが、20世紀モードの静かなる改革者として、また新たに今、脚光を浴びてほしいものでる。

出典:https://www.fashion-press.net/collections/gallery/21059/361728