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革新を続けるPRADA(プラダ) | EDITOR'S PICK / ブランドストーリー

2016/11/16 11:10


かつて「野望の怪物」とまで呼ばれたイタリアを代表するブランド、『PRADA(プラダ)』のデザイナーの『ミウッチャ・プラダ』。彼女の独自の感性やスタイル、彼女の放つ名言、革新し続ける意思は私達にファッションを通して、強く生きる事を教えてくれる。

「本能に従って能動的に生きる事」

この言葉は、まさに誰の色にも染まらない『ミウッチャ・プラダ』として生きる一人の力強い女性を表している。彼女は『PRADA(プラダ)』の歴史を築いた偉大な人物であり、創業は1913年にまでさかのぼる。

『PRADA(プラダ)』と言えば、トレンドへの反発心や挑戦を続けるが、上品で洗練された中に見えるエレガントな女性らしさ、時にミニマルシックやスポーティなスタイルまで見え隠れする。

更に適切な素材選び最新鋭な技術と異素材を組み合わせた360度、どこから見ても斬新で見応えのあるスタイリングは常に世界中を魅了する。

そんな『PRADA(プラダ)』の誕生から現在までを紹介しよう。

創業「Fratelli Prada(プラダ兄弟)



『PRADA(プラダ)』は、『ミウッチャ・プラダ』の祖父にあたる『マリオ・プラダ』とその弟『マルティーノ・プラダ』の二人の兄弟で創業された。

1913年、現在もプラダ本店が置かれている、ミラノの中心にあるシンボルの一つ、ガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世において、『PRADA(プラダ)』1号店として皮革製品店『Fratelli Prada』を開業する。

アメリカやヨーロッパを旅して周り世界中から上質な革や珍しい素材を集め、なめし革製品や高級バッグ、旅行用製品等をイタリア職人の手により豪華に商品化していた。

イタリア王国の王家サヴォイア家を始め、ブルジョワジーやヨーロッパの貴族達の御用達になり。瞬く間にヨーロッパ全土のセレブが訪れる場所になった。
 

出典:http://www.negozistoricilombardia.it/negozi/fratelli-prada-s-r-l/



プラダの有名な逆三角形のロゴプレートは、サヴォイア家の紋章がモチーフになっているとも言われている。

順調に事業が進み、二人はマンゾーニ通りに2号店をオープン。

だが時代は戦争真っ只中、この時代に生きていた歴史的デザイナーは皆経験したであろう経営不振になっていった。

高級志向は薄れ、3号店開店予定が白紙になり、次第に全く時代にそぐわなくなってしまったのだ。

そして1958年、創業者である『マリオ・プラダ』が死去。

『マリオ・プラダ』の息子達は誰一人ブランドを引き継ごうとしなかった為、娘の『ルイーザ・プラダ』が一人で継ぐ事になった。

しかし、変化していく人々のライフスタイルに釣り合わなくなり、長く低迷期が続いた。

1978年、『ルイーザ・プラダ』の娘である『ミウッチャ・プラダ』がブランドを継ぐ事になる。後に経営不振から現在の世界を代表する高級ファッションブランドにまで『PRADA(プラダ)』を育てた人物になる。

 

出典:http://angelalala.diary.to/archives/46793461.html

 

ミウッチャ・プラダ



ミウッチャは1948年5月10日、ミラノに生まれる。

名は『マリア・ビアンキ』だが、80年代に創業者の名前を引き継ぐ為、叔母の養子となり正式に現在の名前『ミウッチャ・プラダ』に改名。

60年代末までミラノにある『ピッコロ・テアトロ』にてパントマイマー等の職を経て、1970年にミラノ大学政治学科を卒業。

昔から縛られた世界に違和感を抱き、正統派ファッションが嫌いだった彼女。幼い頃からファッションへの拘りがあった。トレンドに敢えて反抗心を抱く。

そうする事によって新しいスタイルが生まれる。それが今のプラダへの製作にも繋がっている。

1977年、1987年に結婚した夫でありビジネス・パートナーとなるパトリツィオ・ベルテッリと出会う。

ベルテッリが『PRADA(プラダ)』の革製バッグをコピーし、形から革の種類まで全く同じスタイルのバッグを作っていた。

その噂を聞きつけたミウッチャ本人がその場に駆けつけた事がきっかけになる。出逢いは犬猿のだったが、お互いの能力やアイディアを交換するようになり人生最愛のパートナーにまで変わったのだ。

 

世界的ブランド、プラダへ



「日常を贅沢に飾る」をテーマにコンテンポラリーで斬新なデザインや素材使い、歴史や伝統等を取り入れた革新的なスタイルを打ち出した。

「彼女ほど女性の内面を表現できるデザイナーはいない」と絶賛される程となった。

『PRADA(プラダ)』といえば『ポコノ』という、ナイロン素材だがテントやパラシュートなどに使われる特殊な素材を使用した、黒のバックパックが頭に浮かぶ。

高度な技術で作られており、撥水性が良く、薄く軽いがとても丈夫で手触りもサラサラしている。

実はこの「ポコノ」は元々は『PRADA(プラダ)』創業者でもあり、ミウッチャの亡き祖父のマリオが旅行カバンの素材として使っていた。

最初は、『ルイ・ヴィトン』や『エルメス』といったフランスのブランドが流行っていた為に中々受け入れられなかったが、徐々に人気が出るようになり、80年代半ばにはアメリカや日本にて一大ブームとなった。

 


 

アパレルラインのスタート。ファッション以外の様々な活動。


アパレルブランドというイメージが強い『PRADAプラダ』だが、アパレル界へ進出を果たしたの最近のことだ。

1982年、シューズラインをスタート。元々はカバン事業がメインだった為、昔から使っていたなめし革を使用。

その上、『PRADA(プラダ)』ならではの独特なデザインや色合いの違う革を合わせたりと靴事業でも瞬く間に広い世代に愛される事になる。

80年後半に秋冬レディースラインをスタートし、ミラノコレクションデビューを果たす。

1993年、姉妹ブランドの『miu miu(ミュウミュウ)』を設立する。『miu miu』の由来は幼少期に呼ばれていたニックネームから付けられた。

『PRADA(プラダ)』より若い年齢層をターゲットにしており、シンプル且つモダンで品質のある中にガーリーさを入れた遊び心があるデザイン。高級感を保ちながらもカジュアルさも兼ねている。

同年にメンズラインもスタート。シンプルで奥行きのあるダークトーンでしっとりしたスタイルが特徴的だ。

90年代には、後に『プラダ財団(Fondazione Prada)』と呼ばれる、アートやカルチャーを重視した『Prada Milano Arte』を設立する。ファッション以外の事も全力で発信している。

2015年にミラノとヴェネツイアにアート複合施設をオープン。ミラノに関しては建築構造にかなりのこだわりがあり、10棟からなるその建造物は、「”建築の保存”」と「”新たな創造”」をコンセプトにしている。

建物を見るだけでもかなりの価値が味わえる。

 

出典:http://openers.jp/gallery/322693

 

ブランドコングロマリットとその後


1999年から『ヘルムート・ラング』を始め、『ジル・サンダー』や『フェンディ』、イギリスのシューズブランドの『チャーチ』等を買収し巨大ブランドグループに発展していく。

しかし、財政難からほとんどを売却する自体になり、現在は『チャーチ』やイタリアのシューズブランドの『カーシュー』等のみとなっている。

ブランドの多角化路線は縮小してしまったが、『PRADA(プラダ)』や『miumiu(ミュウミュウ)』のクオリティの高いファッションは高く評価され続けいる。

アートをモチーフにしたコレクションを発表した際にはデザイン面で高評価され、多くのブランドが影響を受けた。

ファッションのみならず、2008年には、韓国のLG電子とのコラボで携帯電話『The PRADA Phone by LG』のデザインもスタート。

数年に一度発表される新しいデザインが備わった携帯に期待が高まる。


そして2013年、ブランドは100周年を迎えた。

『PRADA (プラダ)』は、時代のニーズを的確に捉え、次々に魅力的な商品を世に生み出している。世界中から愛され、注目される人気ファッションブランドとして未だに進化を続けている。

無類の映画好きだと言う『ミウッチャ・プラダ』は、1日に立て続けで4本もの映画を観る事もあるらしい。

映画は現代美術と違い、音楽、文学、建築、舞踊など様々な芸術分野を織り交ぜて創造する「総合芸術」だから面白い、と言う。

ある香水のコマーシャルでは、目に見えない”香り”をショートムービー仕立てに伝えている。彼女のファッションとは日々絶えない好奇心や創造から五感力を通じて、私たちに届いているのかもしれない。