『デヴィッド・ボウイ』が2017年東京に蘇る。

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The Rolling Stones are shocked and deeply saddened to hear of the death of our dear friend David Bowie…As well as being a wonderful and kind man, he was an extraordinary artist, and a true original.

「ローリング・ストーンズは最愛の友人デヴィッド・ボーイの死を知り、ショックを受け、深い悲しみの中にいます。彼は素晴らしい人でありながら、偉大なアーティストであり、唯一無二の存在でした。」@RollingStones(Twitterより)



今年、2016年1月10日に流れた悲報は、世界を悲しませた。華美なファッションやメイクで一世を風靡した世界的ロック歌手の『David Bowie(デヴィッド・ボウイ)』の死去である。

18ヶ月に及ぶ闘病の末に、肝癌によって享年69歳で彼の人生に終止符が打たれたのだ。SNSでは、世界中のファンや著名人からの追悼メッセージや声明が絶えなかった。

日本では、20代の男性が彼の死を聞いて絶望、歩道で泣き叫びながら自殺をしようとしたニュースも流れている。2000年に雑誌『MME』がミュージシャン対象のアンケートで、「20世紀最も影響力のある人物」に選ばれた『デヴィッド・ボウイ』の死は、こんなにもファンを半狂乱にさせるほどだったのだ。

そんな彼の生い立ちを話そう。
 



 

デヴィッド・ボウイ


1947年1月8日、イギリスのロンドン南部ブリクストンで生まれた。音楽好きの父親の影響で、幼少期は『エルヴィス・プリスリー』、『プラターズ』などのアメリカのポピュラー音楽を聞いて育つ。

その後、異父兄の影響でモダンジャズにも興味を持つと、彼が14歳になった1961年に母親からプラスチック製のアルト・サックスをプレゼントされる。地元のミュージシャンにレッスンを受け、翌年にはプラスチック製ではなく、本物の楽器を扱うようになる。同年、バンド『Konrads』を結成。彼はギター、ベースを担当した。

1964年6月5日『ディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズ』名義で最初のシングル『リザ・ジェーン』を発表。

なかなかヒットに恵まれないために、何度か名を変えたが、同じ歌手の『デイビー・ジョーンズ』と紛らわしいことから、1966年4月のシングル「Do Anything You Say」より名を『デヴィッド・ボウイ』に変え、やっと芸名が定着する。このボウイの名は、19世紀に活躍したアメリカの開拓者であるジェームズ・ボウイと彼が愛用していたナイフであるボウイナイフから取られた。
 

出典:http://blog.goo.ne.jp/53607107/e/2e223db394cf7656c70992329fb6b90c



1967年6月、デビューアルバム『デヴィッド・ボウイ』を発表。

同年9月に短編映画『イメージ』(1968年上映)に出演、その撮影で、イギリス出身の舞踏家であり、振付家の『リンゼイ・ケンプ』と出逢っている。『デヴィッド・ボウイ』が彼のダンスクラスで学んだコンメディア・デッラルテは、ボウイに大きな影響を与えている。

「コンメディア・デッラルテ」とは、仮面をつけた俳優たちが類似的なキャラクターをユーモラスに演じ、特にはパントマイムを混ぜながら、類似的な状況設定(時事問題、話題の出来事)をベースに即興的に物語を展開していく、アバンギャルドな即興演劇の一つである。

1969年、前年に公開された映画『2001年宇宙の旅』をモチーフにして、アルバム『スパイス・オディティ』を製作。

アポロ11号の月面着陸に合わせて、その直前にシングル『スパイス・オディティ』をリリース。その物語性や宇宙を創造させるサウンド、彼の中性的な容姿もプラスして、女性なのか男性なのか、はたまた異星人なのかと悩ませるような表現をし、人気ミュージシャンの仲間入りを果たした。

それから、彼は時代時代で挑戦を繰り返し、ブラックミュージックを取り入れたり、歌舞伎の演出をしたり…と、もうミュージシャンの言葉では収まりきらなくなった。まさにアーティストである。

 

出典:https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/news/2014_09_10/277114210/



「僕は日本の影響下にある」と楽曲『ブラック・アウト』に綴っているくらい、ボウイは親日家であった。初めてボウイが日本文化を知るようになったのは、『リンゼイ・ケイプ』の影響でもある。

『リンゼイ・ケイプ』が、能や歌舞伎を自身のダンススクールに取り入れていた、ちょうどその時期に、ボウイは彼の元にいたのだ。

その後、40年以上にわたってボウイを取り続けた写真家の『鋤田正義』や、1970年代ボウイのツアー衣装を製作した日本人デザイナーの『山本寛斎』のように日本人のクリエイターたちと積極的にコラボレーションを行った。

そんな偉大なアーティストがこの世を去ってから、もう1年が経とうとしている。そんな、まだ彼の死を受け入れられずにいる方に朗報がある。

 

デヴィッド・ボウイ 大回顧展 in 東京


2013年ヴィクトリア・アルバート美術館で開催されて以来、世界9都市を巡回し、約150万人を動員した、『DAVID BOWIE is』(デヴィッド・ボウイ大回顧展)が、アジア唯一の開催地として日本を選んだ。

70歳を迎えるはずだったボウイの誕生日、2017年1月8日(日)に東京に彼が蘇るのだ。彼の全てを押し込めたボウイ展では、音楽のみならず、パフォーマンス、ファッション、いろんな観点から彼に触れることができる。

今回、日本オリジナルの『DAVID BOWIE MEETS JAPAN』が展示されるようだ。ボウイが日本のクリエイターと協働した作品の一つ、映画『戦場のメリークリスマス』(監督・大島渚、1983年公開)。共演者の『北野武』、『坂本龍一』のインタビュー映像や名場面映像を上映される。

この作品は、1942年、インドネシアのジャワ山中にある日本軍俘虜収容所が舞台で、ボウイが演じるのは、ある日収容所に送られてくる反抗的な英国陸軍少佐ジャック・セリアス。

過ぎ行く日々の中で、所長のヨノイ大尉(坂本龍一)は次第にセリアズの言動に心を奪われていくというストーリーである。ご存知の方は多いと思うが、大島監督が「奇跡が起きた」と語っているボウイと坂本龍一の名場面があるので要チェックだ。

亡くなる2日前、ボウイの69歳の誕生日にリリースされたアルバム『BLACK STAR』の中に収録された楽曲『Lazarus』はファンへのメッセージが残されている。

Look up here, I’m in heaven. I’ve got scars that can’t be seen. I’ve got drama, can’t be stolen. Everybody knows me now.」

「ここで見上げてみると、俺は天国にいる。見えない傷を負ってしまった。誰にも盗めないドラマが、俺にはある。みんなが俺のことを知っている。」

出典:【追悼】David Bowie – Lazarus 歌詞を和訳してみた – SONGTREE


『DAVID BOWIE is』を訪れて欲しい。最後の最後までアーティストであり続けた彼の生き様。世界が彼に魅了された訳。国境、人種、性別の区別のない、唯一無二の『デヴィッド・ボウイ』を知って欲しい。

 

『DAVID BOWIE is』

期間:2017年1月8日(日)〜4月9日(日)
   月曜日休館(但し1/9、3/20、3/27、4/3は開館)
会場:寺田倉庫G1 ビル(天王洲)
住所:東京都品川区東品川二丁目6番地10号
開館時間:10:00〜20:00 但し金曜日は21:00まで。入場はいずれも閉館1時間前まで。
料金:一般2400円(前売料金2200円)、中高生1200円(前売料金1000円)、小学生以下は無料。



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